山号を宝塚山(ほうちょうざん)という。

 

 

 

807年頃、西国24番の霊場、真言宗中山寺の弟子、善了が建てた真言の道場あり、勝福寺と名付けられていた。のち、貞治元年(1362)になって、本願寺の存覚上人が摂津に巡教し、このときに火打に滞在、教導され、浄土真宗となる。同寺にかかげられている喚鐘にはこの間の事情を印刻している。  

 

 

本尊は木造阿弥陀如来立像である。

 

 

勝福寺古墳

 

 

 

明治24年、壁土用の土を取っていた時に偶然、横穴式石室が見つかり、中国製の鏡や管玉、大刀が出土し、1934年によって現地調査が行われる。

 

古墳は全長約40mの前方後円墳で6世紀前葉に造られたもので、後円部に2基の横穴式石室、前方部に木棺直送墓を設けてある。

 

古墳(員数634㎡)出土品(員数318点)がH26年3月14日に兵庫県史跡名勝天然記念物と兵庫県指定重要有形文化財に指定される。